引用コラージュ:社会実装に必要な新メンタルモデル

引用コラージュ:社会実装に必要な新メンタルモデル

本記事では「社会実装」というトピックを、複数の書籍から引用して検討します。

スタートアップの社会実装に関する書籍、創造性についての本、スピリチュアリズム、ビジュアルデザインの新刊などから、ランダムにピックアップした文章をコラージュし、解説を付けて記事にします。

結論となる主張は以下です。

小さな社会実装を思想ベースですすめていき、テクノロジーや資金は道具として使う。その結果、テクノロジーが進歩するのは理想。人真似、トレース、競争などは過去の遺物である。

誰もが「人と違うこと」ができる時代に、世界はいまだ、誰もが「人と同じこと」を追求しています。そして、テクノロジー先行型、トレンド追従型、後払いのメンタルモデルで動いています。

ここでは、ジャンルを問わず、様々な書籍をコラージュして、これからの時代について表現してみたいと思います。

まず、テクノロジー先行型、シリコンバレー信仰、ビジネスモデルの模倣、マーケティング手法のトレース、他社の行動を見て同じことをする行動についてです。

技術やビジネスモデル単独だけでそのサービスが普及するかどうかが決まるわけではありません。その技術やビジネスモデルを社会の中にどのように位置付けるかがその価値を決めるのです。
未来を実装する

この引用の文脈は、Uberが日本でスムーズに導入されなかった理由についてです。社会実装という観点から書かれています。

シリコンバレーでうまくいったから。東南アジアで盛り上がっているから。他国で多額の資金調達事例があるから。あのスタートアップがアプリを開発したから。ニュースやプレスリリースで取り上げられているから。よって、あのビジネスモデルを模倣すれば成功するはず。

こういったアプローチは、大量生産・大量消費という前提で、均一・均質を追求した「鋳型」をもとに行われていることです。覇権を握る戦争であり、利権をめぐる競争です。

このアイディアには、システムとしての全体把握、個々人の違いと特性、環境変数と時代背景の変化についての考察が欠如しているように感じます。

一点物を作る場合は、制作と同時進行で創作が行われます。しかし、大量生産の場合は作品を創作するのではなく、制作のための手順を構想するのです。
ビジュアルデザイン論

テクノロジーを前提にし、ビジネスモデルを模倣するやりかたは、まさしく制作のための手順を模倣することです。つまり、大量生産を前提として、大量消費を意図しています。

果たして、そのアプローチは「今、ここ、この瞬間、この時代」にマッチするでしょうか?

芸術の歴史は偶像破壊の歴史でもある。君たちが知っていることは全部間違っているという新しい声の歴史だ。
リチャード・パワーズ、「クリエイティブ」の練習帳

アート思考が盛り上がっている昨今。デザイン思考の教科書的な存在、IDEOの企業文化が問題視されている、今日このごろ。私たちが今まで「正しい」と思っていたことが、すべて「間違っている」かのごとく、ゲシュタルト崩壊が起きているのではないでしょうか。

そのような時代に、過去の大量生産・大量消費、全員が均一・均質を前提に構想されたモデルを模倣することはどんな意味を持つのでしょうか。SDGs的にいう「つくる責任、つかう責任」との関係性はどうなっていくのでしょうか。

いつも同じ道ばかり歩いていれば、自分がどこにいるか迷うことはない代わりに、自分を見失ってしまう。同じことを同じようにやってばかりいては、いつも同じ結果しか得られない。
「クリエイティブ」の処方箋

テクノロジー追従型を例に取ります。私たちは、インターネット、クラウド、人工知能、RPA、ノーコード、なんとかテック、などなど、あるテクノロジーがでてくると、それを追求し、皆が同じ行動をとってきました。

誰かがプロダクトを売却したり、資金調達したり、面白そうなビジネスを立ち上げようものならば、皆が同じことを一斉にするようなパターンが形成されています。まさに、テクノロジーのライフサイクルや技術革新のSカーブをループし続けているわけです。

そのパターンや行動、メンタルモデル自体に疑問を感じたことはないでしょうか?

クリック・モーメントは二つの異なる概念やアイディアや人が交わるときに訪れやすい。
成功は“ランダム”にやってくる!

アナタにとっての成功と幸福は、ワタシにとっての成功や幸福とはまったく異なります。

例えば、アナタにとっての成功がスタートアップで大きなエグジットをすることで、幸福とは一家団欒マイホームだったとします。

しかし、ワタシにとっての成功は新しいモデルやシステムを社会にリリースし続けることで、幸福とは「菜食健美」でミニマルな旅生活であるわけです。

そこに同じことを同じように同じタイミングで行うことの利点や、競争の余地はあるのでしょうか。過去から数千年、継承されている思想で新しい時代をつくる必要はあるのでしょうか?

魂職は趣味に近い。楽にできるものを伸ばして広げていき、さらに奥深く入っていく。結果、由樂即ち自由で樂しみが生まれる。この「由樂」は魂職にとっての絶対条件である。もうすでに魂職についている人もいる。この世界には競争がない。競争する必要がないからだ。
大転換期の後皇の時代

競争する必要がないほど、自分にピッタリな職業。ビジネスモデル。そんなものを発見できたとしたら、どれほどラクで楽しい世界になるのでしょうか?

もっと、新しい概念や知恵や多様性を「かきまぜる」ことや「アマルガム」をつくり、混沌を歓迎することができるのではないでしょうか?

これまでの宗教や教育、哲学や科学の範疇を超えたところにあるモノを積極的に採用してもよいのではないでしょうか?

魔術と科学の分離、哲学と宗教の分離など、分離を戻して統合すると、そこは錬金術師の世界です。

人類の宗教の分野におけるこの甚だしい欠落は、いかにして、科学とテクノロジーの発展に対して地球の宗教が反対、或いは誤解してきたかの反射なのです。
ジェームズQ&A ウイングメーカー

ここでいう「反射」とは、英語でいう「reflection」だと思われ、それは「反映」ともいえます。つまり、私たちの集合意識が「投影してきた内容の反映」です。

ということは、過去の思い込み、信念体系、メンタルモデルを統合・改善・刷新して、個々人がオリジナルな発想で、小さな社会実装を楽しむことができるのではないでしょうか?

競争しなければ品質が上がらないという幻想も、ステークホルダーや自然との関わり、フィードバック・ループによって反駁可能です。

最初に結論を次のように定義しました。

小さな社会実装を思想ベースですすめていき、テクノロジーや資金は道具として使う。その結果、テクノロジーが進歩するのは理想。人真似、トレース、競争などは過去の遺物である。

個々人が自由な思想で、最適な社会インターフェースを実装した結果、副産物としてテクノロジーが進歩するような理想。思想が生む理想。そんな世界を視ています。

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