共有とケア:多くのサービスが抱える根本課題

共有とケア:多くのサービスが抱える根本課題

本日のお題は「サービスを再考する」です。

論点は、サービスというコトバを変えるか、サービスが流れる方向をひっくり返す。そのどちらか、もしくは両方で、根本課題を解決できないだろうか、というものです。


分かち合いは、思いやり。

これは、英語でよく使われるフレーズです。原文は「Sharing is caring.」となります。あえて定義しなくても、あたりまえのようなこと。それが、今の世界に欠けていることでもあります。

そして、この思想がサービスに反映されているか、いないかで、品質も大きく変わってきます。もっというと、サービス設計時点で、すでに品質が決まります。

つまり、論点は「サービス自体の、サービスデザイン」です。

サービスにおける注意ポイント

サービスのデカイ落とし穴

この論点が重要な理由。それは、明白です。

コロナトリガーが弾かれてから、新時代に向かって連帯感、共有、助けあいなど、サービス(ケア)が重要になっているからです。

健康、環境、気候などを含め、世界で連帯感やケアが叫ばれています。

しかし、いくらテクノロジーで自動化しても、思想がゴミであれば、テクノロジーはブルシットなサービスを生み出します。私たち社会起業家やスタートアップが、注意すべきポイントです。

ユーザー体験から考えても、注意すべきポイントはありそうです。

ユーザーが慣れている体験、インターフェイス、しくみ、チートなアプリなど。これらを採用するのはベストとされていますが、行き過ぎると、同じところをグルグル回るだけになってしまう。

よくある、なんちゃってシンプルと、行き過ぎた「わかりやすさ」です。

システム思考的にいえば、全体のつながりを意識しない応急処置は、かえって害悪になる。そう、いえると思います。

サービスという概念が生まれた背景

サービスという概念と歴史

ブルシット・ジョブという本によると、もともと、サービスというのは、古い封建制度に由来するコトバで、持たざる人々が持てる人々に「仕える(serve)」ことに関係があります。

今の、日本の商習慣も同じです。

共有やケアをするのは、サービス提供者ばかり。しかし、利用者は、そうではない。

つまり、サービスとはケア。そして、ヘルスケア市場が云々といっても、結局、サービス提供者、ケアする側がキツイ構造に変わりがない。そこが問題です。

この現象の端的な現れが、投げっぱなしの一方通行コミュニケーションです。しかも、チャットアプリというテクノロジー、ソーシャルメディアというとサービスによって、強化されています。

これは、システム開発やコンサルティングも同じです。

安く、速く、丸投げ。あの会社に、あの業者に、あのヒトに「やらせる」という思考。そういう思想体系をもったまま、他者にサービスを提供しよう、サービスとしての新規ビジネスを立ち上げようとしていることに、大きな違和感があります。

本質的に、ケアではないからです。

ここに、マーケティング詐術や、部分最適化による搾取の原因があります。心理操作、本能への刺激、ユーザーが自動操縦でグルグル、たらい回しに回されている。

そんなことが日常的に、起こっています。

ノーコードというトレンド、その挑戦

ノーコード界の挑戦と課題

ノーコード界隈でも、似たようなことが起きています。

プログラミングの知識や経験が不要とはいえ、製品のドキュメントやフォーラムを調べまくって、エキスパートに聞かないとわからない。結局、学習コストは高いまま。

市民開発者の意義が、ほとんど活きないケースも「かなり」あります。

これは、デザインの問題でもあります。例えば、エンジニアしかわからない用語や構造を、そのままビジュアルに翻訳してしまうケース。今のノーコード製品は、このケースがほとんどです。

(この点、Adaloはかなり優れたインターフェイスだと思います!)

重要なのは、サービスの根本にある思想です。

もし、サービス提供者、ノーコード・プラットフォーム提供者が「だれでもラクに、すぐ使えるアプリ開発サービスを、メチャメチャ本気で提供したい!」という思想でビジネスしていれば…

デザインを変えるだけで、品質はかなり高まる、と考えます。しかし、その逆は、おそらく難しいです。

さらに、足かせになるのは、資金調達の環境、マーケティング手法、セールス・プロセス、組織構造など、古い封建主義のサービスを引きずっている「伝統的なやりかた」かもしれません。

結局の所、寄生体ビジネス、コンサル、投資、アプリ開発サービスが量産されていく。そして、そのサイクルが、延々と繰り返されてしまう。

それが、今起きているデキゴトではないでしょうか?

サービスそれ自体の価値を再設計する

結局、サービス自体の再考

では、どうすればいいのでしょうか?

ここが「サービス自体の、サービスデザイン」になってくると思います。

寄付の文化、投資の意識、クラウドファンディングなど、贈与のデザインが育ちはじめた日本。そして、コロナトリガーで弾かれた、自由への意識。

このあたりは、重要な成功要因になってくると考えられます。

理由は「直接、料金を徴収しなくても、収益源がある」ということがひとつ。もうひとつは「主従関係ではない、純粋な応援や支援の経済が育っている」ということです。

まだ、お金執着型、責任転嫁型のシステムが目立ってはいますが、変化は確実に起きています。

筆者がパートナーとなっている、Integromat(インテグロマット)も、まだまだ多くの人にとって難しいようです。英語のハードルもそうですが、前述の「専門性をそのまま翻訳しているデザイン」が影響しています。

そこで、今できることとして、無料の動画配信、無料のサンプル集、無料のサポート・コミュニティなどを運営しています。

今まで、こういった活動の多くは、メーカーやベンダーが収益を得るための「コンテント・マーケティング」として行われていました。パートナーは、それらを収益源にしていました。

例えば、高額のセミナー、研修、コンサルティングなどです。

しかし、それだと「最も必要としている人に、永遠に届かない」です。そう、体験してきました。そこは無料にしてしまう。それが、エシカルワークスのチャレンジです。

一方で、収益源を確保しないと継続できないので、そちらもやっていく必要があります(笑)

最後に、短くまとめます。

サービスの課題は、思想体型にあり。よって、サービス自体のサービスデザインが活路です。

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